人と人の関係、例えば、恋人、友人知人、家族間、職場間でも、もめごとが生じる理由は「価値観の不一致」と言われている。
僕は「価値観の不一致」という理由は、疑問に感じているし、少なくとも、定義が不鮮明で同意できない、と思っている。
もめごとは「価値観の一致」していると誤解しているときに生ずるのだ。
全く異なる価値観であれば、互いに明らかに違いを認識ているはずであり、関係性を維持する必要がなければ、接触することを避ければいいだけだし、関係性を維持したいのであれば、互いの価値観の違いを尊重したうえで、お互いに譲れるところ、落としどころを探して「ディール」1することができる。
問題なのは、互いに「価値観が一致」していると認識している場合である。価値観が一致していると思っていても、関係を続けていると、価値観を生む根本思想や、価値観に基づいた行動や優先順位など違うと言った異なる部分に気づく、ということは往々にしていあるだろう。
この「些細なズレ」に気づいたとしても、「価値観が一致」と思い続け、「些細なズレ」を直視せず、修正しないまま関係を継続していくと、この「些細なズレ」は「解決したほうが良いかもしれないズレ」に、そして「解決すべきズレに」、最終的にはには「関係を維持できない、どうにも対処しようのないズレ」に発展してしまう。このような過程によって、人は生じたもめごとに対する理由付けとして、「価値観の不一致」と結論づけるのではないだろうか。
誰かと知り合いになって、趣味が同じ、考え方が似ている、と言った「価値観が一致」が分かることは大変うれしいことだ。ただ、持続可能的に関係を続けていきたいのであれば、本当に「価値観が一致」しているか冷静に分析することが大事ではなかろうか。
- ここでいうディールというのは、アメリカにおいて、双方間で交渉して何かしら契約する言語慣習であるが、米法廷ドラマで見るような大企業同士の書面契約というよりも、学生系ドラマのような友達同士の「これをゆずるから、それをしてくれ」という双方間の約束のイメージが近いだろうか(言った言わないを避けるために書類での契約が望ましいが)。つまり、必ずしも金銭が伴うことではなく、ディールを「金を巡った取引」とイメージすると、この文章の本旨が理解できなくなる ↩︎
