「お金はどうでもよい」と言う人ほどお金で揉める

Blog in Japanese

仕事や私的イベント(以下「活動等」とする)でも、金銭の授受が発生する活動等で、「お金はどうでもよい」と言う人がでてきたら、とても警戒することにしている。

今までの経験から導き得た結論なのだが、活動等で「お金はどうでもよい」と主張するほど、あとで、お金で揉めることが多いのだ。

というのは、その人の価値観として、お金のプライオリティを低くし、ほかの何かを大事にすることは、とても崇高で高邁(こうまい)な精神であるのだが、そのような人が活動等に加わった場合、その人は自分だけではなく、参与者全員に対して「お金はどうでもよい」と考えるよう(無意識或いは意識的に)求めることが、往々に生じるからだ。

もちろん、金銭の授受が発生する活動等において「お金はどうでもよい」という信念は、活動等の過程において、どこかで破綻が来してしまう。ひいては、活動等が完全に失敗することもありうるのだ。それは、少し考えればわかる道理だ1

なので、自分が主体となって行う活動等(※今は仕事の関係上、金銭が絡む私的活動はしていない)で、「お金はどうでもよい」と言う人が現れた場合、まず、その人と「お金はどうでもよい」ということはどういう概念なのか、その人の報酬や、参与者の報酬、組織の収益について、どう考えているか、をクリアにして、金銭について明確な線引きがでできたら、ようやく活動等を着手することにしている。

ただ、「お金はどうでもよい」と言う人は、最初にお金のことを話すことを極端に嫌がるので、お金のことを話したがらなければ、損切と言うべきか、揉めることを最小限に食い止めるために、その人が参与することをできるだけ早くお断りすることにしている。

繰り返すが、「お金はどうでもよい」と言う人ほどお金で揉めるのだ。

その高邁な信念だからではなく、その傲慢さゆえに。


  1. 昔働いていた企業で、ある日現れた、潜在的に重要性のあるクライアントが「お金はどうでもよい」と言う人だったが、それは、その人が信じる新興宗教の理念に基づいての発言だった。つまり、「お金はどうでもよい」は、そのクライアントの見解というより、宗教観に基づいた揺るぎない信条、生きることの根本思想であったため、双方の商業活動の見解に明確な大きな溝があったもの、全く是正できず、また、潜在的に重要まクライアントゆえに、上司から、また、そのずっと上の上司からの命令で取引を中止できず、致し方なく、その仕事を続けざるを得なかったが、案の定、収益回収フェーズで、クライアントとは金銭問題で揉めに揉め、口は出すが手を出さない無責任の上司からは詰められ(今から考えれば、彼は将来揉めることは予想していたかもね)、自分も精神的に相当消耗した。新興宗教の信者の恐ろしさを知った ↩︎