国際化がますます進む今日(こんにち)において、必要なのは、「国際感覚」を身に着けること。「国際感覚」とは簡単に言うと、多様性を理解すること。多様性を理解するということは、世界には様々な価値観や考え方があることを理解し、受容することだろう。
日本人1にとって「国際感覚」を身に着ける大きな妨げとなっているのは、日本人の行動原理の基礎となる強い倫理観。「約束は守らなければならない」「うそをついてはいけない」「時間を守らなければないない」といった倫理観だ。
日本人の多くは、約束をすることと、その約束を履行すること、この二つが1万光年離れているのに気づいていない。「約束を破るのは、評判を落としてしまうので良くないことだ。そもそも、背信行為であり人間としてやってはいけないことだ」と考えているので、約束をすること=約束を履行すること、と自動的に考える癖が頭にこびりついている2。
しかしながら、世界では、約束を破り、それがまかり通っていることが少なからずある。いちいち細かく上げないが、現在の世界情勢は言うまでもなく、日本を含む世界の歴史が、それを示している。
日本人の確固とした自己規律に基づいた倫理観は、素晴らしい美徳であることは間違いない。ただ、この倫理観をもって、世界と対峙するのであれば、世界各国各地の人々、企業及び国家の行動原理は到底理解できない。世界を渡りあえる「国際感覚」なんて、身に着けることは不可能だろう3。
約束をすることと、その約束を履行すること、は同じではない。日本人特有の倫理観を外して、世界の事象を見るように習慣付けること。これが世界を知るスタート地点なのだ。
- 話を単純化するために、「日本人」と一括りに言っているが、もちろん、上述した国際感覚を身に着けている日本人もいる。ただ、少数派ではないだろうか ↩︎
- 日本人の倫理感は、近代哲学の祖と言われる、ドイツのイマヌエル・カント(1724-1804)による「道徳」の概念に近いのではないか。自分はカントを含む哲学の知識が浅いので自信はないが ↩︎
- 当たり前だが、「日本人の倫理観は悪いことだ」「日本人は倫理観を捨てろ、人を裏切れ」と主張しているのではない。だが、「日本人特有の倫理観で世界を見てはいけない」と日本人に言うと、「その考え方はおかしい。約束は守るべきだ」と、世界の見方という論点ではなく、倫理観という論点で反駁されることもあり、建設的な議論が進まず厄介 ↩︎
